其の七 核戦争の戦い方


 ずいぶん前、某国首都に”地下の長城”があると聞いて見に行ったことがある。普通の街角にあるお店の入口を入ると入場料を取られて 地下に下れるようになっていた。幅23メートルほどだったと記憶しているが 何筋かの道路がここから各地に続いており天津市まで届く(150km)ものもあるとの説明 えっ、本当かい! 実に嘘っぽいが 途中で通行止めになっていて それ以上先は通行禁止で一般人は行かせてもらえない為  本当の所は確認のしようがない。
 この地下の万里長城が作られたのは、始皇帝の時代ではなく 毛皇帝、じゃない・・毛沢東の時代ある。

 ここ最近 周辺諸国から鼻つまみ者扱いの”近平パンダ”と”熊のプーチン”は、表面上とっても仲良しであるが、本来 歴史的地理的にこのパンダと熊 絶対に仲良くなれない関係なのである。パンダ国も熊国も殆ど独裁国家状態であるから 国家=為政者同志の関係のよって、また為政者の利害関係によって、その時期の“仲良し、仲悪い度”が決まる。個性の強すぎる独裁者同志、本気で仲良くなれる訳がない。

但し、昔を見れば歴史の浅い社会主義国と言う共通点で、当時のスターリンと毛沢東は表面上は仲良くやってきた。ところがスターリンが死んでフルシチョフが政権を握ると、フルシチョフのスターリン批判に毛沢東が猛烈に反発し始めた。それだけ毛沢東はスターリンを信奉していたのか?いや、全然違う! 毛は、ソ連への一回目の訪問で冷たくされてスターリンを嫌っていたはずだ。但し お互いに目的のためには手段を択ばない冷酷さは似ており、絶大な権力を握ったスターリンを目標としていたのは間違いない。世界中を共産国化するという目標においては一致できるものがあったし、表面上スターリン信奉が国内的にも筋の通る話である。しかし、フルシチョフは今迄のような個人崇拝のソ連式圧政には限界がある事を悟っていたはずで、政権を握るやいなや方針転換をはかり西欧との協調路線を取り始めた。毛はスターリン路線で暫く行きたかったので当然面白くない。両者関係が悪化する。悪化した状態が 両国の本心剥き出しの本来の姿なのである。 

共産主義者の悪い所は、傍から見たらどうでも良いような小さなイデオロギーの違いだけで、内輪同志殺し合いの喧嘩をするようなところだ。党のトップ層は、労働者・農民の代表を名乗っても、元はブルジョワ出身で、ある程度インテリ層が党のトップを占めることが多い。従ってインテリ特有の陰湿な面が出て来る。共産主義政権内でトップを取れない事は、被粛清の対象即ち死を意味する事が普通である。権力闘争においては、どんな小さな事象でも相手を陥れることができれば利用する、そんな厳しい生存競争を生き残ってきた連中だ。ましてや歴史的にも仲が悪い両国が イデオロギーの違いで関係が悪化して お互い修復不可能な状態までになった。ついに 熊は、パンダに核攻撃をすることまで想定して アメリカにも内々に打診した。焦ったのは毛である。

この時期、某国は核開発の成功はしていたはずだが、まだまだまともな報復手段としては確立されていなかった。ソ連が本気で攻めてきたら、核で首都は徹底的にやられるだろうという想定から、地下の防空壕を整備し始めたのだ。その当時は重機もなかったので ほとんど人民を繰出しての人海戦術である。毛と言う指導者、朝鮮戦争時代に アメリカの原爆攻撃を想定して「中国には、6億の人がいる、3億死んでもまだ3億の人が残るから 核戦争が起きても最後は中国が残る」と言って周辺諸国を驚かせたが、只の強がりではなく本気でそう思っていたようだ。この言葉、スターリンの「一人の死は悲劇だが
100万人の死は統計に過ぎない」に非常に考え方が似ている。別に良し悪しを述べているのではなく、為政者は、一人一人の死を悲しんでいたら政治などできないという事である。悪名高きのこの二人にとっては、革命を成功させ自分の権力が絶対なものになるなら 人の命なんて紙屑以下であっただろう。でも 往々にして人民は、こういう強い独裁者を信奉し 弱い指導者を軽蔑する。

某国では、毛の影響か、未だに一般庶民でさえ「我が国は、人口が多いので戦争で半分ぐらい死んでも大丈夫」と思っている人が結構いる。こういう国に対して政治的に対応するにはリベラルお人好しでは、まず抗しきれない。

さぁ、今や某国の人口は13億?14億? 核戦争で半分死んでも毛沢東時代の人口に戻るだけ。なんか凄く暴論に聞こえるかもしれないが、某国共産党の指導者にすれば、権力と量りに掛ければ人命など薄っぺらな紙に等しいという毛時代の思想は、しっかり受け継がれている。この国では、人が沢山死ぬことより党としてメンツを失う局面の方が政権の危機なのである。

 ある日 某国首都から上海に向けて航空機で移動していた時である。初めてPM2.5のガスもなく 窓から地上が見渡せる良好の天気であった。約2時間の間 窓の外には中原と言われる華北から華中に向けた大平原が続くが ナント一部の山間地を除き全く人家が途切れないのである。ほとんどが農地であるが 農民集落が砂漠に累々と並ぶ蟻塚のごとく 切れ目なく続く光景・・・。アメリカ大陸も農地が延々と続きはするが 集落はまばらである。某国の場合は、地平線の果てまで集落が切れない。その時ふと考えた「この国が核戦争をしても 毛沢東の言う通り人民を根絶やしにはできない。

 核戦争になった場合、人口集中部の損害は莫大だろうが 仮にアメリカが所有する
1万発強の核弾頭をもってしても全国の集落を完全に壊滅する事は不可能だろう。」と。それほど この国は大きい。国土は、広くともわずか人口1億5000万人のロシア、人口32,000万人居ても都市に人口が集中するアメリカ 何れも主要5都市に核攻撃を食らったら 政治的に戦争継続は怪しくなる。でも 某国の場合は、頭(司令塔)を失わない限り継続を選択するかもしれない。但し 早々に頭が根絶やしにされたら 某国は単なる巨大な烏合の衆になり自壊するかもしれないが。もうお分かりの通り 冒頭ご紹介の地下の長城は、人民の為のものではなく 人民の為と言う名目で「党が生き残る」ために作られたものである可能性が高い。

 帝国主義時代の時代錯誤がまだ幅を利かせ、毛の思想が党にも庶民にも根強く残る某国に対しては、現代の倫理感ではかみ合わない。この国に対応するは、我々自身がダブルスタンダードなど気にせず案件ごとに対処し  政治・外交も進めるべきであろう。2015/8/14 記)

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ボクの某国論